記者コラム

2016.07.09 久保選手

 2年前、しゃきっとプラザのテレビ画面にくぎ付けになった。ソチ・パラリンピックに出場した久保恒造選手のバイアスロン競技だった。ロシア、ウクライナ選手に続いてゴールに飛び込んだ久保選手の姿に感動した。それから2年、今度は夏の陸上競技で内定を射止めた◆高校3年生の時に交通事故で脊髄を損傷、車いす生活となった久保選手。テレビで見た車いすマラソンに引かれた。パラリンピックの舞台を目指す競技人生は2000年からだった。しかし、パラリンピックの代表は、思った以上に高いハードルだった。北京、ロンドンと秒差で代表を逃した。悔しい思いを忘れることはなかった◆シットスキーと日立ソリューションズとの出会いが冬のパラリンピック挑戦につながった。それでも、車いすマラソンを諦めることはなかった。海外遠征の部屋でもトレーニングを続けた。「諦めの悪さは自分でも驚く」。16年目でつかんだリオの切符にぽつりとつぶやく◆5000㍍に加えて車いすマラソンにも出場の可能性がある。「東京でメダルを取る」。リオでその感触をつかむ。夢は始まったばかりだ。(本多)

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